偏差値70以上の高学歴の過去を持つ能町みね子は
エッセイスト、イラストレーター、ライター、コラムニスト、漫画家など、
幅広いジャンルで活躍しています!
これだけ幅広いジャンルをこなすのにも、
すごくクリエイターとしての知識が必要です。
どこで知識を蓄えクリエイターとしての勉強をして来たのか。
また、能町みね子さんは重い病気を患ったり性転換手術を受けたりしており、
経歴としても波乱な人生を送られているので
今回はそんな大活躍中の能町みね子さんの学歴と知られざるwiki経歴について、
その中でどんなエピソードがあったのかも踏まえて話していきます!
それでは早速能町みな子さんについてみていきましょう!
能町みね子のwiki経歴

名前:能町 みね子(のうまち みねこ)
生年月日:1979年3月17日
職業:エッセイスト・イラストレーター・ライター・コラムニスト・漫画家
出身:北海道
血液型:A型
家族構成:父・母・兄・弟の5人家族(3人兄弟の真ん中)
育ち:茨城県牛久市
国籍:日本
デビュー作:オカマだけどOLやってます。
その他:サムソン高橋と同棲中
以上が簡単なwiki経歴になります。
それでは能町みね子さんについて調査していきましょう!
能町みね子の学歴と経歴 ①生まれから出身小学校まで

能町みね子さんの生まれは北海道です!
実は生まれつき心臓に先天性の病気があったため3-4歳のころに手術しています。
能町みね子さんの北海道にいた期間は短く、
5歳の時には茨木県牛久市へ引っ越ししています。
幼稚園時代は同級生からのいじめを受けており当時を振り返ったインタビューではこう話しています。
当時、立ち小便器でオシッコをする時、ズボンを全部脱がないとできない子だったんです。それを同級生に見られるのが嫌で、オシッコができなくなって我慢してたんですけど、結局漏らしちゃっていました。そんなこともあって、クラスメイトからはネチネチとイジメられました。
このことがきっかけで小学校に入ったら勉強を頑張って見返してやると思ったそうで
小学校入学後は成績が予想通り良い生徒でした!
幼いころから気持ちの強い人のように見えますね!
出身小学校は不明ですが、
校区の関係上
牛久市立岡田小学校
牛久市立神谷小学校
の可能性が高いです!
心臓手術の影響もあり、体育だけはできなかったそうですが、
勉強ができたせいで天狗になっており、またいじめられる可能性があると思ったため、それからは心を入れ替えて考えて行動をするようになったといいます。
そのためいじめられない術を身に付け、小学校時代は平和に過ごせていました。
また子供の頃の将来の夢は漫画家になることでしたが、
大きくなるとともに夢はなくなっていきました。
能町みね子の学歴と経歴 ②出身中学と中学生のエピソード
まず出身中学から見ていきましょう!
能町みね子さんの出身中学校は牛久市立牛久第一中学校です!

出身有名人
- 根本洋治(牛久市長)
- 庭田清美(トライアスロン選手)
- 上原和人(元バスケットボール選手)
- 能町みね子(エッセイスト、漫画家)
- 細谷真大 (サッカー選手)
- 神谷浩史(声優)
- 代永翼(声優)
能町みね子さんは当時部活もやっておらず帰宅部でした。
成績は学年トップで学級委員長も務めました。
能町みね子さんの中学時代は2つ上の世代にまだ不良も多く校則の締め付けがきつく、時代錯誤にも強制的に男子は坊主だったでした。
そのこともあり、夏休みの課題では「中学校がいかにつまらないか」というタイトルで作文を書いて提出していました。
作文には、
「中学校なんて最初から期待してなかったけど、思ったとおりなんにも面白くない」
などかなり強烈な内容を書いていました。
強烈な内容のコメント書けるほど純粋に思ったことを伝えられる人だったんですね!
能町みね子の学歴と経歴 ③出身高校と高校生エピソード

能町みね子さんの出身高校は茨城県立土浦第一高校です!
驚異の偏差値72(超難関)
この高校は偏差値超難関校であり、
政界・官界・財界・学界・文化・芸術などで活躍する著名人を数多く輩出しています。
能町みね子さんはそのうちの一人です!
1897年開校の伝統校で、古くから県内でもトップクラスの進学校として知られています。
能町みね子さんはこの高校に一般受験で入学し、高い学力を有していました。
この時から偏差値が70越えは高すぎてびっくりです!

この高校に進学をしたきっかけについてはインタビューで次のように話しています。
学年のうち数人は東京の高校へ進学しましたが、東京へ行きたいという強い希望はなかったです。3兄弟で、実家にあまりお金もなかったですし。県立校でいいかと、特に何も考えずに進学しました。
この高校は筑波研究学園都市で働いている研究者の子息が多く進学するような学校でしたが、
そんな中でも能町みね子さんは成績はかなり良い生徒でした。
そして校風自体も意外に自由な面が多く、先生との信頼関係も厚く充実した高校生活を送っていました。
能町みね子の学歴と経歴 ③出身大学と大学生エピソード

能町みね子さんの出身大学は 東京大学 教養学部 です。
偏差値68(超難関)
能町みね子さんは高校卒業後、最難関国公立大学の東京大学に進学。
この大学の文科Ⅲ類に現役合格しているのでかなり高い学力です!

実はこの時の能町みね子さん、受験勉強が試験までに間に合わずに、
浪人をしようと決めており、翌年は京都大学を受験しようと思っていました。
この年は浪人をすると思っていたため、滑り止めも受けずに東京大学1本しか受けていませんでしたが、現役で合格をしています。
それで受かるのはすごく本番にも強い人ですよね!
能町みね子さんは大学では好きな格好をして過ごしたいと思ったため、
親に頼み1人暮らしをすると言い約束を強引に取りつけました。
そして古着屋で購入をしたユニセックスな服を着ていました。
その後は教養学部に進んでいます。
教養学部を選んだ理由についてはインタビューで次のように話していました。
たまたま進学振分け(当時)の点数が高かったのと、小さい頃から地図が好きだったので、後期教養学部の広域科学科人文地理分科(当時)を選びました。
しかし実際は自分がやりたいと思っていたことと違い、授業は全く面白くなかったと話しています。
大学時代は音楽サークルに所属しボーカルとドラムを担当、ギターとベースもこなしており、駒場祭でも、コピーバンドを組んで演奏を披露しています。
すべての楽器をこなせるのはかっこいいですよね!
能町みね子さんは特別何かをやり遂げたわけではないですが、大学生活は楽しく過ごしていました!
しかし、能町みね子さんはこの当時将来何がしたいかもわからず漠然としていました。
ただずっと「サラリーマンになりたくない」と強く思っており、スーツを着たくなかったと話していました。
とにかく大学に通って、そのまま大学に居残り続ければ研究者になれるかな? とまで考えいたそうです。
また大学2年生の時は通った美容室がとてもよく憧れたこともあり、大学を辞めて美容学校に入ろうかと考えたこともあったといいます。ですが最終的に、両親に反対され、断念したとそうです。
東京大学を無事に卒業することができて、何よりでしたね。
能町みね子さんは卒業論文だけは自分のやりたいことをやろうと思い、
授業と全く関係ないことに取り組み、その結果先生に評価されたので大学院に進むことを勧められました。
当時大学院に進みたいと思っていましたが、長い文献を読むことが苦手だったため、大学院進学は諦めてその時から就職活動をしています。
能町みね子の学歴と経歴 ④卒業後から現在

そして大学卒業後は弘済出版社に就職をしています。
その当時はサラリーマンにはなりたくないが、ここだったら多少は興味を持てる、という考えのもと会社、NHK、新潮社、弘済出版社(現、株式会社交通新聞社)だけ受けました。
能町みね子さんが大学4年の時は大変な就職氷河期だったので、全部落ちるだろうと思っていたそうです!
その中で弘済出版社に受かり決めたそうです!
その中でも受かるのはすごいですよね。
しかしやはりスーツが嫌で11月には仕事をやめ、一人暮らしを始めることに。
そこで23歳にもなり親には頼れないとのことでアルバイト)をいくつかこなし(塾の講師・テレオペ・出版社での編集)、働いたお金をもとに夜間のデザインの専門学校に通いました!

専門学校に通い始めた頃に、「そろそろ性別を変えようかな?」と思い始め、
入学した時は、男の子でしたが、在学中にだんだんグラデーションで変わっていったそうです。
能町みね子さんが、本気で女性へ変われると自信を持ったきっかけは“声”だったと語っていました。
「もともとすごい低い声だったんです。この声はないわ、どうにかなんないかな? と思って、夜に練習してたんです。そうしたら、ちょっとずつベースの声が高くなっていったんですね。それでいけるかな? と思いました。今思うと、単純な声の高さよりも、喋り方が大事なのかもしれません。やりすぎないようにする感じが難しいです。
見た目のほうは、もともとよく女性と間違えられることもあったので、どうとでもなるだろうと思っていました」
この頃に、家族にはカミングアウトをしたそうですが
さすがにショックを受けているようでしたが、大きな騒ぎにはなりませんでした。
ここから能町みね子さんのOLとして働くことを決めた人生が始まりました。
不動産の事務のアルバイトを見つけそこで働くとその仕事をしながら
いろいろな就職活動をしましたが結局不動産の事務のアルバイトを落ち着きました。
ただこのころにタイの性転換手術をしようと思ったそうです。
しかし手術をするのには150万円もの大金が必要で、
そのお金を稼ぐためにブログを始めました。

能町みね子さんが周りと違っていたのはただブログを書くことで稼ごうと思った訳ではなく、
このブログを本にする前提でブログを書いたため1年足らずで出版社から声がかかりました!
それが当時25歳で2005年にはじめた「オカマだけどOLやっています」のブログです!
このブログでは、戸籍上男性でありながらOLとして過ごす日々を赤裸々につづっているもので大変話題になりのちに計画通りの書籍化まで!
そして念願の手術代もたまりアルバイトもやめて、性転換手術に臨みます。
しかし手術後まさかの心臓の調子が悪く徐脈という脈が遅くなる症状が出てきてしまうこととなり心臓が悪化してしまう形になってしまいました。
そのため日本にもどり心臓にペースメーカーを入れることとなってしまいました。
ただ帰ってからも執筆の仕事やWEBでのコラム連載を続けているうちに
流れるままにフリーランスになりそれ以降エッセイやイラストの仕事が絶えず入ってくるようになっていきました!
その後は「トロピカル性転換ツアー」(文春文庫)にて、性転換手術の様子を詳しく描いたり、
『結婚の奴』(平凡社)では、ライターのサムソン高橋さんとの、
恋愛感情と性生活がない、少し不思議な“結婚生活”を描いています。
また活躍は文筆業だけにはとどまらず、
「久保ミツロウ・能町みね子のオールナイトニッポン」(ニッポン放送)のパーソナリティーを務めたり、「ニュース シブ5時」(NHK)で大相撲の解説をするなど、多様な活躍をみせています!
能町みね子の学歴と経歴!まとめ
いかがでしたでしょうか!
かなり高い学歴を持つ人生ですがいろんな経歴も持つ能町みね子さんでしたよね!
ちなみに弟さんも東大卒だそうで兄弟そろってすごく高学歴です!
現在では様々な形でメディアにも出ているので今後の活躍にも期待大です!!
以上TAKAでした!





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